2011年04月23日
4月22日の陸前高田4
気仙町方面に向かう道路は、気仙川の右岸沿い、
路肩が崩れて車一台がやっと通れる程度の危険な道です。帰りは山側の1本道。
共に一方通行です。
たまに一通を知らない逆行車両が来てひやひやします。
▼気仙町に入る直前、対岸の高田松原の一本松が見えました。
7万本の松原が津波にのまれ、たった一本残ったこの松が、やけに目立ちます。

気仙町地区の被害も甚大ですが、
平地が少なく、海から山が近いため、避難所は山沿いの幹線道路沿い集落に点在しています。
★避難所の状況は本当に様々です。
高田地区では生活用品より食料が足りないと言っていました。
現に災害対策本部に電話すると、「今受け入れ可能なのは食料品のみ」と言われます。
しかし同じ陸前高田市内でも、
気仙地区は食料は十分あるのに生活用品のほうが足りない所が多いです。
しかも、
ボックスティッシュとトイレットペーパーだけ欲しい所や
おむつやシーツの消臭シートが欲しい所もあれば、
肌着や靴下、常備薬等がバーゲンセール並みの人だかりになる所も・・・
▼長部小学校向かいの漁業センターが気仙地区の災害対策本部になっています。
長部小学校の校庭にも仮設住宅の建設が始まっています。
▼避難所の責任者さんと打ち合わせ

▼ここでは介護が必要な方のおむつやシーツの下に敷く消臭シート等を卸しました。

★避難所の責任者の方によっても大きな差があります。
責任者を任されている方は、だいたい地区の男性の退職者ですが、
リストを見て、「これとこれは欲しい。これは要らない。」と指示を出します。
それに対し、たまたまお邪魔した時に、男性の責任者が居られなかった避難所では、
そこで活動するボランティアの若い人が避難民のおばさんのリーダーに声をかけると、
ダンボールをどんどん開けて、「みんな来てみてー!いろいろあるよー!」の一声で、
最初はおばさんたちが・・・、
それにつられておじさんたちがみんな集まってきて、我も我もと品物を選び始めます。
避難所の神社の境内があっという間にバーゲンセール会場のようになりました。
▲いつも家庭をやり繰りしている女性のほうがこういう時にはたくましいです。
毎日同じ避難所で活動して、顔なじみになっている若いボランティアの力も大きいです。
避難所の皆さんの「わざわざ届けに来てくれてありがとう!」の満面の笑みで
私たちも満面笑顔♪ とっても嬉しかったです。
かえって元気をいただいたような感じです。
小雨が降る中の物資配給は、
いちいちトラックの中まで這いつくばって物を出さなければならず、
かなりの時間と労力を費やしました。
天気の良い日を選んで、軽トラックに少量多品種を分けて積んで、
避難所や在宅避難者の皆さんに配れたら、もっともっと回れただろうと思います。
最初は土地勘がないのを心配していましたが、何回も行けば土地勘は養われます。
物資の量が問題でなく何回も行くことのほうが大切なのではと感じます。
荷物は残りましたが、日が暮れそうになって止むなく帰ろうとしたところ、
赤旗の支援物資センターを見つけました。
国道45号線から鳴石団地への入り口近くにあります。
訊くと、各避難所や個別宅から聞き取りして、
まさに私たちが思い描く通り、軽トラックで直接届けに行くとの事!
▼残った物資はここに託して陸前高田を後にしました。

まだまだ水道も通らず、街は壊滅的な状況でも、
高田の人たちは、本当に少しずつですが確実に復興へと歩み始めています。
▼地元スーパー「マイヤ」さんは青空店舗だったのがプレハブの屋根付き店舗になりました。
同じ場所に文房具屋さん、地元のお医者さんもプレハブで開業しました。

「いらっしゃいませ!お待たせしてすみませんでした!」と声を張り上げるマイヤ従業員さんの姿に
「がんばって…」と言いかけて、思わず涙しそうになります・・・。
▼ローソンも移動販売車から、プレハブの店をオープンして
地元の店舗オーナーさんの働く場所がようやくできました。

津波で全店が流され、今まで隣町まで給油に行っていたガソリンスタンドも、ようやく市内第1号店がオープンしました。
「がんばってください」なんて言えません。
本当にギリギリの状態で、がんばって、ガンバって、頑張っているのですから・・・
「勇気と元気をくれてありがとう!また来ます!」と声をかけたい・・・
そんな今回、一日だけのちっぽけな支援の旅でした。
路肩が崩れて車一台がやっと通れる程度の危険な道です。帰りは山側の1本道。
共に一方通行です。
たまに一通を知らない逆行車両が来てひやひやします。
▼気仙町に入る直前、対岸の高田松原の一本松が見えました。
7万本の松原が津波にのまれ、たった一本残ったこの松が、やけに目立ちます。

気仙町地区の被害も甚大ですが、
平地が少なく、海から山が近いため、避難所は山沿いの幹線道路沿い集落に点在しています。
★避難所の状況は本当に様々です。
高田地区では生活用品より食料が足りないと言っていました。
現に災害対策本部に電話すると、「今受け入れ可能なのは食料品のみ」と言われます。
しかし同じ陸前高田市内でも、
気仙地区は食料は十分あるのに生活用品のほうが足りない所が多いです。
しかも、
ボックスティッシュとトイレットペーパーだけ欲しい所や
おむつやシーツの消臭シートが欲しい所もあれば、
肌着や靴下、常備薬等がバーゲンセール並みの人だかりになる所も・・・
▼長部小学校向かいの漁業センターが気仙地区の災害対策本部になっています。
長部小学校の校庭にも仮設住宅の建設が始まっています。
▼避難所の責任者さんと打ち合わせ

▼ここでは介護が必要な方のおむつやシーツの下に敷く消臭シート等を卸しました。

★避難所の責任者の方によっても大きな差があります。
責任者を任されている方は、だいたい地区の男性の退職者ですが、
リストを見て、「これとこれは欲しい。これは要らない。」と指示を出します。
それに対し、たまたまお邪魔した時に、男性の責任者が居られなかった避難所では、
そこで活動するボランティアの若い人が避難民のおばさんのリーダーに声をかけると、
ダンボールをどんどん開けて、「みんな来てみてー!いろいろあるよー!」の一声で、
最初はおばさんたちが・・・、
それにつられておじさんたちがみんな集まってきて、我も我もと品物を選び始めます。
避難所の神社の境内があっという間にバーゲンセール会場のようになりました。
▲いつも家庭をやり繰りしている女性のほうがこういう時にはたくましいです。
毎日同じ避難所で活動して、顔なじみになっている若いボランティアの力も大きいです。
避難所の皆さんの「わざわざ届けに来てくれてありがとう!」の満面の笑みで
私たちも満面笑顔♪ とっても嬉しかったです。
かえって元気をいただいたような感じです。
小雨が降る中の物資配給は、
いちいちトラックの中まで這いつくばって物を出さなければならず、
かなりの時間と労力を費やしました。
天気の良い日を選んで、軽トラックに少量多品種を分けて積んで、
避難所や在宅避難者の皆さんに配れたら、もっともっと回れただろうと思います。
最初は土地勘がないのを心配していましたが、何回も行けば土地勘は養われます。
物資の量が問題でなく何回も行くことのほうが大切なのではと感じます。
荷物は残りましたが、日が暮れそうになって止むなく帰ろうとしたところ、
赤旗の支援物資センターを見つけました。
国道45号線から鳴石団地への入り口近くにあります。
訊くと、各避難所や個別宅から聞き取りして、
まさに私たちが思い描く通り、軽トラックで直接届けに行くとの事!
▼残った物資はここに託して陸前高田を後にしました。

まだまだ水道も通らず、街は壊滅的な状況でも、
高田の人たちは、本当に少しずつですが確実に復興へと歩み始めています。
▼地元スーパー「マイヤ」さんは青空店舗だったのがプレハブの屋根付き店舗になりました。
同じ場所に文房具屋さん、地元のお医者さんもプレハブで開業しました。

「いらっしゃいませ!お待たせしてすみませんでした!」と声を張り上げるマイヤ従業員さんの姿に
「がんばって…」と言いかけて、思わず涙しそうになります・・・。
▼ローソンも移動販売車から、プレハブの店をオープンして
地元の店舗オーナーさんの働く場所がようやくできました。

津波で全店が流され、今まで隣町まで給油に行っていたガソリンスタンドも、ようやく市内第1号店がオープンしました。
「がんばってください」なんて言えません。
本当にギリギリの状態で、がんばって、ガンバって、頑張っているのですから・・・
「勇気と元気をくれてありがとう!また来ます!」と声をかけたい・・・
そんな今回、一日だけのちっぽけな支援の旅でした。
Posted by いーわ編集長 at 20:27│Comments(0)
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