2011年04月28日
前沢★桜のトンネル
奥州市前沢は今、桜が満開です♪
▼前沢小学校前の桜並木

▼保育園と小学校前のからお物見公園まで通じる坂道は桜のトンネルです

▼坂の途中は4月7日の大きな余震で亀裂が入って現在車両通行止めですが
こんな時はゆっくり歩きながら桜を愛でるのもいいかもしれませんね♪

▼お物見公園は丘全体がピンク色に染まって、JR東北線や国道4号からも桜の景色を楽しめます。
今年は桜祭りが中止でボンボリがないので昼の時間帯がおすすめです。

▼前沢小学校前の桜並木

▼保育園と小学校前のからお物見公園まで通じる坂道は桜のトンネルです


▼坂の途中は4月7日の大きな余震で亀裂が入って現在車両通行止めですが
こんな時はゆっくり歩きながら桜を愛でるのもいいかもしれませんね♪

▼お物見公園は丘全体がピンク色に染まって、JR東北線や国道4号からも桜の景色を楽しめます。
今年は桜祭りが中止でボンボリがないので昼の時間帯がおすすめです。

2011年04月25日
ステッカー義援金本日募金しました
いーわ会員の皆様、
「痩せたいパパ」さんからご提供いただきました
「がんばるべ!東北魂」ステッカーの募金ありがとうございました。

当店の店頭預かり分、合計金額13,337円を
災害義援金として
岩手銀行県庁支店
普通預金2016634
岩手県災害義援金募集委員会
に本日振り込ませていただきました。

募金いただきました会員の皆さんありがとうございました。
◆尚、50枚のうち、郵送分26枚分につきましては
各自で募金いただきますようお願いをいたしました。
まずは報告させていただきます。
皆さんありがとうございました。
「痩せたいパパ」さんからご提供いただきました
「がんばるべ!東北魂」ステッカーの募金ありがとうございました。

当店の店頭預かり分、合計金額13,337円を
災害義援金として
岩手銀行県庁支店
普通預金2016634
岩手県災害義援金募集委員会
に本日振り込ませていただきました。

募金いただきました会員の皆さんありがとうございました。
◆尚、50枚のうち、郵送分26枚分につきましては
各自で募金いただきますようお願いをいたしました。
まずは報告させていただきます。
皆さんありがとうございました。
2011年04月24日
米作りのスタート♪
編集長は田んぼがあるお米屋さん。お米も自ら作っています。
いよいよ今年の米作りが始まりました♪
稲の種もみを準備します。
水に漬けておいた種もみを温度をかけて、ちょっとだけ芽を出した状態で種まきします。
▼白い芽がちょっとだけ出ているのがわかるかな?

▼手回しのコンベアで種をまいて

▼その上から土をかぶせます。

翌日は苗代に苗箱を運んで据え付けました。
▼水をたっぷりやりながら一枚ずつていねいに。

これから米作りの様子も時々UPしていきますね。お楽しみに♪
いよいよ今年の米作りが始まりました♪
稲の種もみを準備します。
水に漬けておいた種もみを温度をかけて、ちょっとだけ芽を出した状態で種まきします。
▼白い芽がちょっとだけ出ているのがわかるかな?

▼手回しのコンベアで種をまいて

▼その上から土をかぶせます。

翌日は苗代に苗箱を運んで据え付けました。
▼水をたっぷりやりながら一枚ずつていねいに。

これから米作りの様子も時々UPしていきますね。お楽しみに♪
2011年04月23日
4月22日の陸前高田1
東日本大震災情報 4月22日陸前高田へ災害支援に行ってきました。
本来は4月初めの予定でしたが4月7日の大きな余震で前沢区内が被災したため2週間遅れてしまいました。
▼21日夕方に群馬県の友人が支援物資を一人でトラックで運んできてくれました。

▼トラック平積みのよろずや方式で物資を配布する予定でしたが
22日の沿岸部は雨の予報。
急遽、うちの幌付きトラックに積みかえて被災地を回ることに変更。

▼4月22日(金)朝2人で出発。
群馬の金井君は岩手大学卒業で特に岩手に熱い思い入れがある人です。本当にありがとう!

まず目指すは陸前高田市鳴石(なるいし)団地内に設置された市役所仮庁舎の水道事業所。
4月7日の余震で内陸部も被災し、水沢区内の北上川にかかる藤橋、小谷木橋は通行止。
前沢の大曲橋を渡って黒石経由国道343号で向かいます。
▼大船渡線、陸前高田の2駅手前「陸中矢作」のあたりに差し掛かると、もう津波の被害が。
海から約9kmも離れているのに・・・

▼さらに進むと・・・


瓦礫の量は通常1年間に出る廃棄物の100年分とも言われています。
100年分の瓦礫をどうやって・・・途方に暮れるような量です。
まずは鳴石地区の市役所仮庁舎へ車を進めます。
以後、忙しすぎて写真を撮る暇がなかなか無くなりますので、ご容赦ください。
本来は4月初めの予定でしたが4月7日の大きな余震で前沢区内が被災したため2週間遅れてしまいました。
▼21日夕方に群馬県の友人が支援物資を一人でトラックで運んできてくれました。

▼トラック平積みのよろずや方式で物資を配布する予定でしたが
22日の沿岸部は雨の予報。
急遽、うちの幌付きトラックに積みかえて被災地を回ることに変更。

▼4月22日(金)朝2人で出発。
群馬の金井君は岩手大学卒業で特に岩手に熱い思い入れがある人です。本当にありがとう!

まず目指すは陸前高田市鳴石(なるいし)団地内に設置された市役所仮庁舎の水道事業所。
4月7日の余震で内陸部も被災し、水沢区内の北上川にかかる藤橋、小谷木橋は通行止。
前沢の大曲橋を渡って黒石経由国道343号で向かいます。
▼大船渡線、陸前高田の2駅手前「陸中矢作」のあたりに差し掛かると、もう津波の被害が。
海から約9kmも離れているのに・・・

▼さらに進むと・・・


瓦礫の量は通常1年間に出る廃棄物の100年分とも言われています。
100年分の瓦礫をどうやって・・・途方に暮れるような量です。
まずは鳴石地区の市役所仮庁舎へ車を進めます。
以後、忙しすぎて写真を撮る暇がなかなか無くなりますので、ご容赦ください。
2011年04月23日
4月22日の陸前高田2
陸前高田は、まだ市内のほとんどが断水しています。
今回の目的の一つはトイレの手洗い場にこのような空きペットボトルを利用した給水器を取り付けることです。
▼コックをひねるだけで両手を一緒に流水で洗えますので衛生的で水のムダも省けます。
コックと吊るすネットはネットで買いました。
空ペットボトルは前沢で調達、針金でS字フックを作って50個準備しました。

前日に仮庁舎水道事業所に電話で連絡して了解をいただきました。
▼高田一中から少し上った所にある鳴石団地。
学校給食センターは災害対策本部。
その少し奥の空き地にプレハブ十数棟の仮庁舎が建っています。
警察や郵便局、各銀行の支店もプレハブで建設中でした。
自衛隊、警察、消防、大阪や奈良等各地からの給水タンク車も集結、関係車両でごった返しています。
2トンロングで来なくてよかった!車を止めるのは1.25トン幌付きトラックが精いっぱい!
小雨の中、仮庁舎に到着。
市職員の皆さんは忙しすぎて全く余裕がありません。
水道事業所での対応は30秒。
「ありがとうございます。あとはよろしくお願いします。」と、
職場で集めたペットボトルを10本手渡していただきました。
お忙しい中、本当にありがとうございます。
早速、給水車から水を汲んで、
ペットボトル給水器を避難所や公民館、一般住宅にも一部設置してある仮設トイレに取り付けました。
50個なんて全く微々たるものですが、お役に立てていただけるなら喜んで!
一般住宅では住民の皆さんが進んで配ってくださったり、逆にこちらのほうが助けていただきました。


▼市内最大の避難所高田第一中学校は新学期。
携帯電話の基地局やマスコミの車が多数。
生徒の出入りに交じって仮設住宅への入居も始まっています。

▼駐輪場では
市の社会福祉協議会のボランティアがオープンマーケット形式で衣服、靴等の配布を行っていました。
このような形式で配布し始めたのはつい最近からということです。
市民がひっきりなしに訪れて物を選んでいます。

今回の目的の一つはトイレの手洗い場にこのような空きペットボトルを利用した給水器を取り付けることです。
▼コックをひねるだけで両手を一緒に流水で洗えますので衛生的で水のムダも省けます。
コックと吊るすネットはネットで買いました。
空ペットボトルは前沢で調達、針金でS字フックを作って50個準備しました。

前日に仮庁舎水道事業所に電話で連絡して了解をいただきました。
▼高田一中から少し上った所にある鳴石団地。
学校給食センターは災害対策本部。
その少し奥の空き地にプレハブ十数棟の仮庁舎が建っています。
警察や郵便局、各銀行の支店もプレハブで建設中でした。
自衛隊、警察、消防、大阪や奈良等各地からの給水タンク車も集結、関係車両でごった返しています。
2トンロングで来なくてよかった!車を止めるのは1.25トン幌付きトラックが精いっぱい!
小雨の中、仮庁舎に到着。
市職員の皆さんは忙しすぎて全く余裕がありません。
水道事業所での対応は30秒。
「ありがとうございます。あとはよろしくお願いします。」と、
職場で集めたペットボトルを10本手渡していただきました。
お忙しい中、本当にありがとうございます。
早速、給水車から水を汲んで、
ペットボトル給水器を避難所や公民館、一般住宅にも一部設置してある仮設トイレに取り付けました。
50個なんて全く微々たるものですが、お役に立てていただけるなら喜んで!
一般住宅では住民の皆さんが進んで配ってくださったり、逆にこちらのほうが助けていただきました。


▼市内最大の避難所高田第一中学校は新学期。
携帯電話の基地局やマスコミの車が多数。
生徒の出入りに交じって仮設住宅への入居も始まっています。

▼駐輪場では
市の社会福祉協議会のボランティアがオープンマーケット形式で衣服、靴等の配布を行っていました。
このような形式で配布し始めたのはつい最近からということです。
市民がひっきりなしに訪れて物を選んでいます。

2011年04月23日
4月22日の陸前高田3
4月22日午後からは各避難所を回って、主に物資の配布です。
大きな避難所では支援物資はほぼ揃っていると思われましたので、
私たちは旧気仙町(気仙沼との境)方面に向かいました。
▼途中の景色は震災から1ヶ月以上たった今でも唖然とするばかりです。

▼この場所から撮影。
▼路肩の標識も無惨。


▼気仙川上流方向を見ると

市内を抜けて気仙町方面に行こうと高田松原近くの気仙大橋まで行きましたが、津波で橋が無くなっていて通行不能。
仕方なくずっと上流の陸前矢作まで戻って気仙川を越えて気仙町へ向かいました。
大きな避難所では支援物資はほぼ揃っていると思われましたので、
私たちは旧気仙町(気仙沼との境)方面に向かいました。
▼途中の景色は震災から1ヶ月以上たった今でも唖然とするばかりです。

▼この場所から撮影。
▼路肩の標識も無惨。


▼気仙川上流方向を見ると

市内を抜けて気仙町方面に行こうと高田松原近くの気仙大橋まで行きましたが、津波で橋が無くなっていて通行不能。
仕方なくずっと上流の陸前矢作まで戻って気仙川を越えて気仙町へ向かいました。
2011年04月23日
4月22日の陸前高田4
気仙町方面に向かう道路は、気仙川の右岸沿い、
路肩が崩れて車一台がやっと通れる程度の危険な道です。帰りは山側の1本道。
共に一方通行です。
たまに一通を知らない逆行車両が来てひやひやします。
▼気仙町に入る直前、対岸の高田松原の一本松が見えました。
7万本の松原が津波にのまれ、たった一本残ったこの松が、やけに目立ちます。

気仙町地区の被害も甚大ですが、
平地が少なく、海から山が近いため、避難所は山沿いの幹線道路沿い集落に点在しています。
★避難所の状況は本当に様々です。
高田地区では生活用品より食料が足りないと言っていました。
現に災害対策本部に電話すると、「今受け入れ可能なのは食料品のみ」と言われます。
しかし同じ陸前高田市内でも、
気仙地区は食料は十分あるのに生活用品のほうが足りない所が多いです。
しかも、
ボックスティッシュとトイレットペーパーだけ欲しい所や
おむつやシーツの消臭シートが欲しい所もあれば、
肌着や靴下、常備薬等がバーゲンセール並みの人だかりになる所も・・・
▼長部小学校向かいの漁業センターが気仙地区の災害対策本部になっています。
長部小学校の校庭にも仮設住宅の建設が始まっています。
▼避難所の責任者さんと打ち合わせ

▼ここでは介護が必要な方のおむつやシーツの下に敷く消臭シート等を卸しました。

★避難所の責任者の方によっても大きな差があります。
責任者を任されている方は、だいたい地区の男性の退職者ですが、
リストを見て、「これとこれは欲しい。これは要らない。」と指示を出します。
それに対し、たまたまお邪魔した時に、男性の責任者が居られなかった避難所では、
そこで活動するボランティアの若い人が避難民のおばさんのリーダーに声をかけると、
ダンボールをどんどん開けて、「みんな来てみてー!いろいろあるよー!」の一声で、
最初はおばさんたちが・・・、
それにつられておじさんたちがみんな集まってきて、我も我もと品物を選び始めます。
避難所の神社の境内があっという間にバーゲンセール会場のようになりました。
▲いつも家庭をやり繰りしている女性のほうがこういう時にはたくましいです。
毎日同じ避難所で活動して、顔なじみになっている若いボランティアの力も大きいです。
避難所の皆さんの「わざわざ届けに来てくれてありがとう!」の満面の笑みで
私たちも満面笑顔♪ とっても嬉しかったです。
かえって元気をいただいたような感じです。
小雨が降る中の物資配給は、
いちいちトラックの中まで這いつくばって物を出さなければならず、
かなりの時間と労力を費やしました。
天気の良い日を選んで、軽トラックに少量多品種を分けて積んで、
避難所や在宅避難者の皆さんに配れたら、もっともっと回れただろうと思います。
最初は土地勘がないのを心配していましたが、何回も行けば土地勘は養われます。
物資の量が問題でなく何回も行くことのほうが大切なのではと感じます。
荷物は残りましたが、日が暮れそうになって止むなく帰ろうとしたところ、
赤旗の支援物資センターを見つけました。
国道45号線から鳴石団地への入り口近くにあります。
訊くと、各避難所や個別宅から聞き取りして、
まさに私たちが思い描く通り、軽トラックで直接届けに行くとの事!
▼残った物資はここに託して陸前高田を後にしました。

まだまだ水道も通らず、街は壊滅的な状況でも、
高田の人たちは、本当に少しずつですが確実に復興へと歩み始めています。
▼地元スーパー「マイヤ」さんは青空店舗だったのがプレハブの屋根付き店舗になりました。
同じ場所に文房具屋さん、地元のお医者さんもプレハブで開業しました。

「いらっしゃいませ!お待たせしてすみませんでした!」と声を張り上げるマイヤ従業員さんの姿に
「がんばって…」と言いかけて、思わず涙しそうになります・・・。
▼ローソンも移動販売車から、プレハブの店をオープンして
地元の店舗オーナーさんの働く場所がようやくできました。

津波で全店が流され、今まで隣町まで給油に行っていたガソリンスタンドも、ようやく市内第1号店がオープンしました。
「がんばってください」なんて言えません。
本当にギリギリの状態で、がんばって、ガンバって、頑張っているのですから・・・
「勇気と元気をくれてありがとう!また来ます!」と声をかけたい・・・
そんな今回、一日だけのちっぽけな支援の旅でした。
路肩が崩れて車一台がやっと通れる程度の危険な道です。帰りは山側の1本道。
共に一方通行です。
たまに一通を知らない逆行車両が来てひやひやします。
▼気仙町に入る直前、対岸の高田松原の一本松が見えました。
7万本の松原が津波にのまれ、たった一本残ったこの松が、やけに目立ちます。

気仙町地区の被害も甚大ですが、
平地が少なく、海から山が近いため、避難所は山沿いの幹線道路沿い集落に点在しています。
★避難所の状況は本当に様々です。
高田地区では生活用品より食料が足りないと言っていました。
現に災害対策本部に電話すると、「今受け入れ可能なのは食料品のみ」と言われます。
しかし同じ陸前高田市内でも、
気仙地区は食料は十分あるのに生活用品のほうが足りない所が多いです。
しかも、
ボックスティッシュとトイレットペーパーだけ欲しい所や
おむつやシーツの消臭シートが欲しい所もあれば、
肌着や靴下、常備薬等がバーゲンセール並みの人だかりになる所も・・・
▼長部小学校向かいの漁業センターが気仙地区の災害対策本部になっています。
長部小学校の校庭にも仮設住宅の建設が始まっています。
▼避難所の責任者さんと打ち合わせ

▼ここでは介護が必要な方のおむつやシーツの下に敷く消臭シート等を卸しました。

★避難所の責任者の方によっても大きな差があります。
責任者を任されている方は、だいたい地区の男性の退職者ですが、
リストを見て、「これとこれは欲しい。これは要らない。」と指示を出します。
それに対し、たまたまお邪魔した時に、男性の責任者が居られなかった避難所では、
そこで活動するボランティアの若い人が避難民のおばさんのリーダーに声をかけると、
ダンボールをどんどん開けて、「みんな来てみてー!いろいろあるよー!」の一声で、
最初はおばさんたちが・・・、
それにつられておじさんたちがみんな集まってきて、我も我もと品物を選び始めます。
避難所の神社の境内があっという間にバーゲンセール会場のようになりました。
▲いつも家庭をやり繰りしている女性のほうがこういう時にはたくましいです。
毎日同じ避難所で活動して、顔なじみになっている若いボランティアの力も大きいです。
避難所の皆さんの「わざわざ届けに来てくれてありがとう!」の満面の笑みで
私たちも満面笑顔♪ とっても嬉しかったです。
かえって元気をいただいたような感じです。
小雨が降る中の物資配給は、
いちいちトラックの中まで這いつくばって物を出さなければならず、
かなりの時間と労力を費やしました。
天気の良い日を選んで、軽トラックに少量多品種を分けて積んで、
避難所や在宅避難者の皆さんに配れたら、もっともっと回れただろうと思います。
最初は土地勘がないのを心配していましたが、何回も行けば土地勘は養われます。
物資の量が問題でなく何回も行くことのほうが大切なのではと感じます。
荷物は残りましたが、日が暮れそうになって止むなく帰ろうとしたところ、
赤旗の支援物資センターを見つけました。
国道45号線から鳴石団地への入り口近くにあります。
訊くと、各避難所や個別宅から聞き取りして、
まさに私たちが思い描く通り、軽トラックで直接届けに行くとの事!
▼残った物資はここに託して陸前高田を後にしました。

まだまだ水道も通らず、街は壊滅的な状況でも、
高田の人たちは、本当に少しずつですが確実に復興へと歩み始めています。
▼地元スーパー「マイヤ」さんは青空店舗だったのがプレハブの屋根付き店舗になりました。
同じ場所に文房具屋さん、地元のお医者さんもプレハブで開業しました。

「いらっしゃいませ!お待たせしてすみませんでした!」と声を張り上げるマイヤ従業員さんの姿に
「がんばって…」と言いかけて、思わず涙しそうになります・・・。
▼ローソンも移動販売車から、プレハブの店をオープンして
地元の店舗オーナーさんの働く場所がようやくできました。

津波で全店が流され、今まで隣町まで給油に行っていたガソリンスタンドも、ようやく市内第1号店がオープンしました。
「がんばってください」なんて言えません。
本当にギリギリの状態で、がんばって、ガンバって、頑張っているのですから・・・
「勇気と元気をくれてありがとう!また来ます!」と声をかけたい・・・
そんな今回、一日だけのちっぽけな支援の旅でした。
2011年04月18日
いよいよ桜の季節♪
岩手県奥州市前沢も、いよいよ桜が咲き始めました♪

近所の半田屋旅館の桜は4月15日から咲き始め、今一分咲きぐらいです。

開花は例年より1週間ほど遅いですが昨年よりは5日早いです。
お物見公園の桜は高台にあるので、見ごろは4月25日あたりから連休前半ぐらいまでかな?
うちの梅は満開。

白木蓮も

杏の花も咲き始めました。

北国の春は一斉に花が咲いて、一番華やかな季節の始まりです。
春まつりも桜まつりも中止になったけど、花は咲きます。
個々にお花見しましょう

近所の半田屋旅館の桜は4月15日から咲き始め、今一分咲きぐらいです。

開花は例年より1週間ほど遅いですが昨年よりは5日早いです。
お物見公園の桜は高台にあるので、見ごろは4月25日あたりから連休前半ぐらいまでかな?
うちの梅は満開。

白木蓮も

杏の花も咲き始めました。

北国の春は一斉に花が咲いて、一番華やかな季節の始まりです。
春まつりも桜まつりも中止になったけど、花は咲きます。
個々にお花見しましょう

2011年04月14日
梅が満開桜もうすぐ
▼庭の梅は本日満開です♪

今年の春先は寒かったので平年より1週間遅れ。
でも去年よりは2日早いです。
▼濃いピンク色が青空に映えます。

▼八重の紅梅がこんもりと咲いています。

例年、うちの梅が満開になって2週間で前沢お物見公園の桜は満開になります。
桜の見ごろは4月25日ごろから5月1日あたりかな?
お花見したいね!
早く公園内と行く途中の道路のひび割れを直してもらいたいですね。

今年の春先は寒かったので平年より1週間遅れ。
でも去年よりは2日早いです。
▼濃いピンク色が青空に映えます。

▼八重の紅梅がこんもりと咲いています。

例年、うちの梅が満開になって2週間で前沢お物見公園の桜は満開になります。
桜の見ごろは4月25日ごろから5月1日あたりかな?
お花見したいね!
早く公園内と行く途中の道路のひび割れを直してもらいたいですね。
2011年04月11日
震災から1ヶ月黙祷

3月11日の東日本大震災から1ヶ月。
岩手県内各地では午後2時46分にサイレンが鳴り響き
黙祷を捧げました。
まだまだ復興には時間がかかるかも知れませんが
前を向いて一歩ずつ進もう。
もしも壁にぶち当たって前に進めないときには・・・上を向いてみよう。
この空の下、応援してくれている人たちがたくさんいます。
決して一人じゃありません。
岩手のみんな、勇気を出して、元気を出して歩んでいこう!
2011年04月09日
大余震の建物被害
4月7日23:32ごろの大きな余震 皆さん大丈夫でしたか?
岩手県内陸部、奥州市前沢区では3月11日より被害が大きいです。
うちの蔵は壁が崩れてこのとおり。


こちらはバックリひびが・・・

商店街では店のウインドウやガラス戸が割れたり
▼壁が傾いて道路に落ちそうになっているところも・・・

向かいの銀行は入り口のガラス扉が割れて応急処置して営業

当店はシャッターの支柱が外れてくの字に曲がっちゃいましたが

なんとか店は大丈夫!
「がんばるべ東北!」ステッカーのおかげかな?

まだまだ沿岸の津波被災地に比べれば
この程度で弱音を吐いちゃいけませんね。
岩手県内陸部、奥州市前沢区では3月11日より被害が大きいです。
うちの蔵は壁が崩れてこのとおり。


こちらはバックリひびが・・・

商店街では店のウインドウやガラス戸が割れたり
▼壁が傾いて道路に落ちそうになっているところも・・・

向かいの銀行は入り口のガラス扉が割れて応急処置して営業

当店はシャッターの支柱が外れてくの字に曲がっちゃいましたが

なんとか店は大丈夫!
「がんばるべ東北!」ステッカーのおかげかな?

まだまだ沿岸の津波被災地に比べれば
この程度で弱音を吐いちゃいけませんね。
2011年04月09日
奥州市消防団 2011.4.7余震被害:道路その他
4月7日大きな余震の被害 道路その他
岩手県奥州市前沢区はこの前と同じ震度6弱でしたが
今回は縦揺れが混じり、被害は3月11日以上です。
▼桜の名所お物見公園に上る坂道の途中

▼桜の大木が民家に倒れて1人頭にけが(私たち消防団で搬送しました)

▼神社の参道途中の石鳥居も粉々

▼地震直後は東北で400万世帯、岩手県内全域81万世帯停電
奥州市前沢区は4月8日丸一日停電
ろうそくの火のもとで夕食
ガスと水道だけは通っていたのでなんとか助かりましたが、まだ断水の所もあります。

4月9日未明には電気が復旧しましたが
まだまだ油断は禁物と教えてもらったような余震でした。
気を引き締めて「がんばるべ!東北魂」の精神で行きましょうね!

岩手県奥州市前沢区はこの前と同じ震度6弱でしたが
今回は縦揺れが混じり、被害は3月11日以上です。
▼桜の名所お物見公園に上る坂道の途中

▼桜の大木が民家に倒れて1人頭にけが(私たち消防団で搬送しました)

▼神社の参道途中の石鳥居も粉々

▼地震直後は東北で400万世帯、岩手県内全域81万世帯停電
奥州市前沢区は4月8日丸一日停電
ろうそくの火のもとで夕食
ガスと水道だけは通っていたのでなんとか助かりましたが、まだ断水の所もあります。

4月9日未明には電気が復旧しましたが
まだまだ油断は禁物と教えてもらったような余震でした。
気を引き締めて「がんばるべ!東北魂」の精神で行きましょうね!

2011年04月05日
支援ステッカー50枚

いーわでもおなじみの「痩せたいパパ」さんがステッカーを作られたそうです。
「痩せたいパパ」さんのご厚意により50枚いただきました。
本当にありがとうございます!
★いーわでは震災支援ステッカーとしてご希望の方にお渡しいたします。
◆先着50枚。お一人様3枚までとさせていただきます。
※お店や車に貼ってください。
◆よろしかったら震災の支援として100円でも200円でも募金をしていただければ幸いとおっしゃっておられました。
◆集まったお金はいーわ事務局で責任をもって全額募金に回させていただきます。
▼ご希望の方は↓いーわ事務局までメールでご連絡ください。
support@e-iwate.com
◆尚、同じデザインのバナー
(いーわTOPページにも使わせていただいています)

も、皆さん使わせていただいてかまわないそうですので
↓下記、この記事のコメント欄にあるタグをコピペして、記事やブログトップに貼りつけてみてください。
「痩せたいパパ」さん本当にありがとうございます!
2011年04月04日
勇気をありがとう!
PCのトップページにツイッターの検索記事を載せるようになって
何気なく眺めていたら見つけました!
岩手の皆さんにはぜひ読んでいただきたくて、
ご本人の承諾も得ず紹介させていただきます。
涙腺の弱い編集長は涙が・・・
◆岩手へ医療スタッフとして派遣された、ある看護師さんの日記
岩手県に勇気と希望をありがとう!!
こういう人々のいる岩手は、日本は、必ずや復興します!
何気なく眺めていたら見つけました!
岩手の皆さんにはぜひ読んでいただきたくて、
ご本人の承諾も得ず紹介させていただきます。
涙腺の弱い編集長は涙が・・・
◆岩手へ医療スタッフとして派遣された、ある看護師さんの日記
岩手県に勇気と希望をありがとう!!
こういう人々のいる岩手は、日本は、必ずや復興します!

タグ :岩手県
2011年04月03日
奥州市消防団 消防団の魂
先日NHKでも放送されていましたが
停電でサイレンが鳴らなかった大槌町で
最後まで鐘を鳴らして住民に避難を呼びかけた消防団員の記事です。
・・・どういう言葉をかけたらよいのか言葉が見つかりませんが・・・心から尊敬します。
私も地元の消防団員として
地震の際には地域の被害の報告や住民への広報、避難所の夜警等にあたりましたが
津波が迫るこの状況でこの判断は、私のような臆病者の消防団員では正直言ってできません。
しかも、
今現在も被災地域の消防団は昼夜を問わず地域住民の皆さんを守り続けて活動しています。
停電していた数日だけ活動していた私達など到底足元にも及びません。
・・・避難所で声をかけてくださったおばあさんの、
「この半纏姿で近くにいてくれるだけで心が落ち着くんだよ」 という言葉だけが
せめてもの心の救いです。

停電でサイレンが鳴らなかった大槌町で
最後まで鐘を鳴らして住民に避難を呼びかけた消防団員の記事です。
・・・どういう言葉をかけたらよいのか言葉が見つかりませんが・・・心から尊敬します。
私も地元の消防団員として
地震の際には地域の被害の報告や住民への広報、避難所の夜警等にあたりましたが
津波が迫るこの状況でこの判断は、私のような臆病者の消防団員では正直言ってできません。
しかも、
今現在も被災地域の消防団は昼夜を問わず地域住民の皆さんを守り続けて活動しています。
停電していた数日だけ活動していた私達など到底足元にも及びません。
・・・避難所で声をかけてくださったおばあさんの、
「この半纏姿で近くにいてくれるだけで心が落ち着くんだよ」 という言葉だけが
せめてもの心の救いです。
