2011年04月23日
4月22日の陸前高田1
東日本大震災情報 4月22日陸前高田へ災害支援に行ってきました。
本来は4月初めの予定でしたが4月7日の大きな余震で前沢区内が被災したため2週間遅れてしまいました。
▼21日夕方に群馬県の友人が支援物資を一人でトラックで運んできてくれました。

▼トラック平積みのよろずや方式で物資を配布する予定でしたが
22日の沿岸部は雨の予報。
急遽、うちの幌付きトラックに積みかえて被災地を回ることに変更。

▼4月22日(金)朝2人で出発。
群馬の金井君は岩手大学卒業で特に岩手に熱い思い入れがある人です。本当にありがとう!

まず目指すは陸前高田市鳴石(なるいし)団地内に設置された市役所仮庁舎の水道事業所。
4月7日の余震で内陸部も被災し、水沢区内の北上川にかかる藤橋、小谷木橋は通行止。
前沢の大曲橋を渡って黒石経由国道343号で向かいます。
▼大船渡線、陸前高田の2駅手前「陸中矢作」のあたりに差し掛かると、もう津波の被害が。
海から約9kmも離れているのに・・・

▼さらに進むと・・・


瓦礫の量は通常1年間に出る廃棄物の100年分とも言われています。
100年分の瓦礫をどうやって・・・途方に暮れるような量です。
まずは鳴石地区の市役所仮庁舎へ車を進めます。
以後、忙しすぎて写真を撮る暇がなかなか無くなりますので、ご容赦ください。
本来は4月初めの予定でしたが4月7日の大きな余震で前沢区内が被災したため2週間遅れてしまいました。
▼21日夕方に群馬県の友人が支援物資を一人でトラックで運んできてくれました。

▼トラック平積みのよろずや方式で物資を配布する予定でしたが
22日の沿岸部は雨の予報。
急遽、うちの幌付きトラックに積みかえて被災地を回ることに変更。

▼4月22日(金)朝2人で出発。
群馬の金井君は岩手大学卒業で特に岩手に熱い思い入れがある人です。本当にありがとう!

まず目指すは陸前高田市鳴石(なるいし)団地内に設置された市役所仮庁舎の水道事業所。
4月7日の余震で内陸部も被災し、水沢区内の北上川にかかる藤橋、小谷木橋は通行止。
前沢の大曲橋を渡って黒石経由国道343号で向かいます。
▼大船渡線、陸前高田の2駅手前「陸中矢作」のあたりに差し掛かると、もう津波の被害が。
海から約9kmも離れているのに・・・

▼さらに進むと・・・


瓦礫の量は通常1年間に出る廃棄物の100年分とも言われています。
100年分の瓦礫をどうやって・・・途方に暮れるような量です。
まずは鳴石地区の市役所仮庁舎へ車を進めます。
以後、忙しすぎて写真を撮る暇がなかなか無くなりますので、ご容赦ください。
2011年04月23日
4月22日の陸前高田2
陸前高田は、まだ市内のほとんどが断水しています。
今回の目的の一つはトイレの手洗い場にこのような空きペットボトルを利用した給水器を取り付けることです。
▼コックをひねるだけで両手を一緒に流水で洗えますので衛生的で水のムダも省けます。
コックと吊るすネットはネットで買いました。
空ペットボトルは前沢で調達、針金でS字フックを作って50個準備しました。

前日に仮庁舎水道事業所に電話で連絡して了解をいただきました。
▼高田一中から少し上った所にある鳴石団地。
学校給食センターは災害対策本部。
その少し奥の空き地にプレハブ十数棟の仮庁舎が建っています。
警察や郵便局、各銀行の支店もプレハブで建設中でした。
自衛隊、警察、消防、大阪や奈良等各地からの給水タンク車も集結、関係車両でごった返しています。
2トンロングで来なくてよかった!車を止めるのは1.25トン幌付きトラックが精いっぱい!
小雨の中、仮庁舎に到着。
市職員の皆さんは忙しすぎて全く余裕がありません。
水道事業所での対応は30秒。
「ありがとうございます。あとはよろしくお願いします。」と、
職場で集めたペットボトルを10本手渡していただきました。
お忙しい中、本当にありがとうございます。
早速、給水車から水を汲んで、
ペットボトル給水器を避難所や公民館、一般住宅にも一部設置してある仮設トイレに取り付けました。
50個なんて全く微々たるものですが、お役に立てていただけるなら喜んで!
一般住宅では住民の皆さんが進んで配ってくださったり、逆にこちらのほうが助けていただきました。


▼市内最大の避難所高田第一中学校は新学期。
携帯電話の基地局やマスコミの車が多数。
生徒の出入りに交じって仮設住宅への入居も始まっています。

▼駐輪場では
市の社会福祉協議会のボランティアがオープンマーケット形式で衣服、靴等の配布を行っていました。
このような形式で配布し始めたのはつい最近からということです。
市民がひっきりなしに訪れて物を選んでいます。

今回の目的の一つはトイレの手洗い場にこのような空きペットボトルを利用した給水器を取り付けることです。
▼コックをひねるだけで両手を一緒に流水で洗えますので衛生的で水のムダも省けます。
コックと吊るすネットはネットで買いました。
空ペットボトルは前沢で調達、針金でS字フックを作って50個準備しました。

前日に仮庁舎水道事業所に電話で連絡して了解をいただきました。
▼高田一中から少し上った所にある鳴石団地。
学校給食センターは災害対策本部。
その少し奥の空き地にプレハブ十数棟の仮庁舎が建っています。
警察や郵便局、各銀行の支店もプレハブで建設中でした。
自衛隊、警察、消防、大阪や奈良等各地からの給水タンク車も集結、関係車両でごった返しています。
2トンロングで来なくてよかった!車を止めるのは1.25トン幌付きトラックが精いっぱい!
小雨の中、仮庁舎に到着。
市職員の皆さんは忙しすぎて全く余裕がありません。
水道事業所での対応は30秒。
「ありがとうございます。あとはよろしくお願いします。」と、
職場で集めたペットボトルを10本手渡していただきました。
お忙しい中、本当にありがとうございます。
早速、給水車から水を汲んで、
ペットボトル給水器を避難所や公民館、一般住宅にも一部設置してある仮設トイレに取り付けました。
50個なんて全く微々たるものですが、お役に立てていただけるなら喜んで!
一般住宅では住民の皆さんが進んで配ってくださったり、逆にこちらのほうが助けていただきました。


▼市内最大の避難所高田第一中学校は新学期。
携帯電話の基地局やマスコミの車が多数。
生徒の出入りに交じって仮設住宅への入居も始まっています。

▼駐輪場では
市の社会福祉協議会のボランティアがオープンマーケット形式で衣服、靴等の配布を行っていました。
このような形式で配布し始めたのはつい最近からということです。
市民がひっきりなしに訪れて物を選んでいます。

2011年04月23日
4月22日の陸前高田3
4月22日午後からは各避難所を回って、主に物資の配布です。
大きな避難所では支援物資はほぼ揃っていると思われましたので、
私たちは旧気仙町(気仙沼との境)方面に向かいました。
▼途中の景色は震災から1ヶ月以上たった今でも唖然とするばかりです。

▼この場所から撮影。
▼路肩の標識も無惨。


▼気仙川上流方向を見ると

市内を抜けて気仙町方面に行こうと高田松原近くの気仙大橋まで行きましたが、津波で橋が無くなっていて通行不能。
仕方なくずっと上流の陸前矢作まで戻って気仙川を越えて気仙町へ向かいました。
大きな避難所では支援物資はほぼ揃っていると思われましたので、
私たちは旧気仙町(気仙沼との境)方面に向かいました。
▼途中の景色は震災から1ヶ月以上たった今でも唖然とするばかりです。

▼この場所から撮影。
▼路肩の標識も無惨。


▼気仙川上流方向を見ると

市内を抜けて気仙町方面に行こうと高田松原近くの気仙大橋まで行きましたが、津波で橋が無くなっていて通行不能。
仕方なくずっと上流の陸前矢作まで戻って気仙川を越えて気仙町へ向かいました。
2011年04月23日
4月22日の陸前高田4
気仙町方面に向かう道路は、気仙川の右岸沿い、
路肩が崩れて車一台がやっと通れる程度の危険な道です。帰りは山側の1本道。
共に一方通行です。
たまに一通を知らない逆行車両が来てひやひやします。
▼気仙町に入る直前、対岸の高田松原の一本松が見えました。
7万本の松原が津波にのまれ、たった一本残ったこの松が、やけに目立ちます。

気仙町地区の被害も甚大ですが、
平地が少なく、海から山が近いため、避難所は山沿いの幹線道路沿い集落に点在しています。
★避難所の状況は本当に様々です。
高田地区では生活用品より食料が足りないと言っていました。
現に災害対策本部に電話すると、「今受け入れ可能なのは食料品のみ」と言われます。
しかし同じ陸前高田市内でも、
気仙地区は食料は十分あるのに生活用品のほうが足りない所が多いです。
しかも、
ボックスティッシュとトイレットペーパーだけ欲しい所や
おむつやシーツの消臭シートが欲しい所もあれば、
肌着や靴下、常備薬等がバーゲンセール並みの人だかりになる所も・・・
▼長部小学校向かいの漁業センターが気仙地区の災害対策本部になっています。
長部小学校の校庭にも仮設住宅の建設が始まっています。
▼避難所の責任者さんと打ち合わせ

▼ここでは介護が必要な方のおむつやシーツの下に敷く消臭シート等を卸しました。

★避難所の責任者の方によっても大きな差があります。
責任者を任されている方は、だいたい地区の男性の退職者ですが、
リストを見て、「これとこれは欲しい。これは要らない。」と指示を出します。
それに対し、たまたまお邪魔した時に、男性の責任者が居られなかった避難所では、
そこで活動するボランティアの若い人が避難民のおばさんのリーダーに声をかけると、
ダンボールをどんどん開けて、「みんな来てみてー!いろいろあるよー!」の一声で、
最初はおばさんたちが・・・、
それにつられておじさんたちがみんな集まってきて、我も我もと品物を選び始めます。
避難所の神社の境内があっという間にバーゲンセール会場のようになりました。
▲いつも家庭をやり繰りしている女性のほうがこういう時にはたくましいです。
毎日同じ避難所で活動して、顔なじみになっている若いボランティアの力も大きいです。
避難所の皆さんの「わざわざ届けに来てくれてありがとう!」の満面の笑みで
私たちも満面笑顔♪ とっても嬉しかったです。
かえって元気をいただいたような感じです。
小雨が降る中の物資配給は、
いちいちトラックの中まで這いつくばって物を出さなければならず、
かなりの時間と労力を費やしました。
天気の良い日を選んで、軽トラックに少量多品種を分けて積んで、
避難所や在宅避難者の皆さんに配れたら、もっともっと回れただろうと思います。
最初は土地勘がないのを心配していましたが、何回も行けば土地勘は養われます。
物資の量が問題でなく何回も行くことのほうが大切なのではと感じます。
荷物は残りましたが、日が暮れそうになって止むなく帰ろうとしたところ、
赤旗の支援物資センターを見つけました。
国道45号線から鳴石団地への入り口近くにあります。
訊くと、各避難所や個別宅から聞き取りして、
まさに私たちが思い描く通り、軽トラックで直接届けに行くとの事!
▼残った物資はここに託して陸前高田を後にしました。

まだまだ水道も通らず、街は壊滅的な状況でも、
高田の人たちは、本当に少しずつですが確実に復興へと歩み始めています。
▼地元スーパー「マイヤ」さんは青空店舗だったのがプレハブの屋根付き店舗になりました。
同じ場所に文房具屋さん、地元のお医者さんもプレハブで開業しました。

「いらっしゃいませ!お待たせしてすみませんでした!」と声を張り上げるマイヤ従業員さんの姿に
「がんばって…」と言いかけて、思わず涙しそうになります・・・。
▼ローソンも移動販売車から、プレハブの店をオープンして
地元の店舗オーナーさんの働く場所がようやくできました。

津波で全店が流され、今まで隣町まで給油に行っていたガソリンスタンドも、ようやく市内第1号店がオープンしました。
「がんばってください」なんて言えません。
本当にギリギリの状態で、がんばって、ガンバって、頑張っているのですから・・・
「勇気と元気をくれてありがとう!また来ます!」と声をかけたい・・・
そんな今回、一日だけのちっぽけな支援の旅でした。
路肩が崩れて車一台がやっと通れる程度の危険な道です。帰りは山側の1本道。
共に一方通行です。
たまに一通を知らない逆行車両が来てひやひやします。
▼気仙町に入る直前、対岸の高田松原の一本松が見えました。
7万本の松原が津波にのまれ、たった一本残ったこの松が、やけに目立ちます。

気仙町地区の被害も甚大ですが、
平地が少なく、海から山が近いため、避難所は山沿いの幹線道路沿い集落に点在しています。
★避難所の状況は本当に様々です。
高田地区では生活用品より食料が足りないと言っていました。
現に災害対策本部に電話すると、「今受け入れ可能なのは食料品のみ」と言われます。
しかし同じ陸前高田市内でも、
気仙地区は食料は十分あるのに生活用品のほうが足りない所が多いです。
しかも、
ボックスティッシュとトイレットペーパーだけ欲しい所や
おむつやシーツの消臭シートが欲しい所もあれば、
肌着や靴下、常備薬等がバーゲンセール並みの人だかりになる所も・・・
▼長部小学校向かいの漁業センターが気仙地区の災害対策本部になっています。
長部小学校の校庭にも仮設住宅の建設が始まっています。
▼避難所の責任者さんと打ち合わせ

▼ここでは介護が必要な方のおむつやシーツの下に敷く消臭シート等を卸しました。

★避難所の責任者の方によっても大きな差があります。
責任者を任されている方は、だいたい地区の男性の退職者ですが、
リストを見て、「これとこれは欲しい。これは要らない。」と指示を出します。
それに対し、たまたまお邪魔した時に、男性の責任者が居られなかった避難所では、
そこで活動するボランティアの若い人が避難民のおばさんのリーダーに声をかけると、
ダンボールをどんどん開けて、「みんな来てみてー!いろいろあるよー!」の一声で、
最初はおばさんたちが・・・、
それにつられておじさんたちがみんな集まってきて、我も我もと品物を選び始めます。
避難所の神社の境内があっという間にバーゲンセール会場のようになりました。
▲いつも家庭をやり繰りしている女性のほうがこういう時にはたくましいです。
毎日同じ避難所で活動して、顔なじみになっている若いボランティアの力も大きいです。
避難所の皆さんの「わざわざ届けに来てくれてありがとう!」の満面の笑みで
私たちも満面笑顔♪ とっても嬉しかったです。
かえって元気をいただいたような感じです。
小雨が降る中の物資配給は、
いちいちトラックの中まで這いつくばって物を出さなければならず、
かなりの時間と労力を費やしました。
天気の良い日を選んで、軽トラックに少量多品種を分けて積んで、
避難所や在宅避難者の皆さんに配れたら、もっともっと回れただろうと思います。
最初は土地勘がないのを心配していましたが、何回も行けば土地勘は養われます。
物資の量が問題でなく何回も行くことのほうが大切なのではと感じます。
荷物は残りましたが、日が暮れそうになって止むなく帰ろうとしたところ、
赤旗の支援物資センターを見つけました。
国道45号線から鳴石団地への入り口近くにあります。
訊くと、各避難所や個別宅から聞き取りして、
まさに私たちが思い描く通り、軽トラックで直接届けに行くとの事!
▼残った物資はここに託して陸前高田を後にしました。

まだまだ水道も通らず、街は壊滅的な状況でも、
高田の人たちは、本当に少しずつですが確実に復興へと歩み始めています。
▼地元スーパー「マイヤ」さんは青空店舗だったのがプレハブの屋根付き店舗になりました。
同じ場所に文房具屋さん、地元のお医者さんもプレハブで開業しました。

「いらっしゃいませ!お待たせしてすみませんでした!」と声を張り上げるマイヤ従業員さんの姿に
「がんばって…」と言いかけて、思わず涙しそうになります・・・。
▼ローソンも移動販売車から、プレハブの店をオープンして
地元の店舗オーナーさんの働く場所がようやくできました。

津波で全店が流され、今まで隣町まで給油に行っていたガソリンスタンドも、ようやく市内第1号店がオープンしました。
「がんばってください」なんて言えません。
本当にギリギリの状態で、がんばって、ガンバって、頑張っているのですから・・・
「勇気と元気をくれてありがとう!また来ます!」と声をかけたい・・・
そんな今回、一日だけのちっぽけな支援の旅でした。